ノートの落書き


英語論・翻訳編

訳と言ってもガチガチの直訳から超訳まで、一通りではない
文脈や状況によりどう訳すべきかを考える

May I help you?

学校教育では基本的に直訳しか許されない。単語レベルで1:1対応の訳を要請され、余計な言葉が入ったり逆に足りなかったりすると丸々減点される。にも関わらず、(文部省によって)決められた文のみ、意訳を越えた超訳を強制される。中でも違和感を感じたのは May I help you? の訳である。これを学校では「いらっしゃいませ」であると習った。そういう定型文から疑ってはならないと。なるほど、そういうものかと納得した。

海外の店には(国にもよるが)フレンドリーな店員が多い。店に入って飛んでくる言葉は大抵「Hi」「Hello」である。そして注文とか関係なく色々話しかけてくる店員もいる。また少し迷ったりしていると、気楽に「What do you want?」「What do you need?」という風に話しかけてくる。

「May I help you?」を「いらっしゃいませ」と訳すのであれば、これは店側が一方的に言う挨拶であり、客側は無視…というとおかしいが、これに対して返事をするものではない。しかし、実際にはこれは「質問」であり「Yes, I want ...」などと返事をするべきなのである。「May I ...」というのはかなり丁寧な言い方であるが、これをもう少しラフな表現にするとどうなるか。ニュアンスとしては「What do you want?」などでいいだろう。なんのことはない、定型文などではなく単なる店と客の会話だ。敢えて言おう、「いらっしゃいませ」は誤訳であると。

実は「Welcome to my shop!」という言い回しも聞いたことがある。これだとかなり「いらっしゃいませ」のニュアンスに近い。とはいえ定型文などではないし、何より「我が店へよく来た」という、やや気取った言い回しに聞こえなくもない。ガチガチの直訳なら「私の店へようこそ」であるし、意訳として「いらっしゃいませ」とするのはやや中途半端かもしれない。

Good Morning!

Good Morning、おはよう。なぜ「Good Morning」が「おはよう」なのか。GoodじゃないMorningだったらどうするのか、Bad Morningだ! 海外の人に食ってかかったこともあったが「そういう風に言う習慣だから仕方ない」と返された。それはともかく良い朝も悪い朝もGood Morning。日本でも別に早くなくても「おはよう」。決まり文句であり、意味など考えない。「おそようございます」とかいう冗談もあるが、訳すなら「Bad Morning」という超訳がふさわしい。それはともかく「決まり文句で習慣だから疑うな」という言い回しも確かに存在している。

ただ、ガチガチの直訳か、意訳か、の2通りではないとも思う。言語は文化を反映する。どこまでその文化を考慮に入れて訳すかで訳が変わってくる。おはよう、Good Morningは偶然にも英語圏・日本語圏双方に「朝会ったら挨拶する」という文化があったため綺麗に訳すことができた。では、そういった文化が存在しなかったら・・・?英語ではなくフランス語になってしまうが、「Bon Appetit」というのがある。「召し上がれ」と訳すことが多いが、日本語の「召し上がれ」は作った人が食べる人に言う言葉である。しかし「Bon Appetit」はもう少し広く使われる。例えば、友達と会って「これから食事?」なんて時に「Bon Appetit」という風にも使える。ノリとしては「よし、食ってこい!」ぐらいだろう。いずれにせよ、日本語では訳しきれないということだ。

挨拶といえば、日本人は知り合いとすれ違ったとき軽く会釈で済ませる場合も多い。これが海外になると「Hello, How are you?」と捲し立てることが多い。これを「海外にはフレンドリーな人が多い」と解釈するのか、声に出して挨拶のみならず会話するのが習慣なのだと考えるのかは難しい。この挨拶に習慣を加味した上で「変換」するのなら"会釈"=「Hello, How are you?」とする、まさに言葉を超越した超訳すら考えられる。さすがにやりすぎだろうか。

問題

最後に翻訳が極めて難しい文を挙げる。

これはおそらく最も有名であろう、日本語の回文である。単にこれを訳せと言われた場合、どうするべきだろうか。自分は2つの答えを用意した。

解その1

面白みも何にもないガチガチの直訳である。これで訳したといっていいのだろうか。こういう解はあまり好きになれない。

解その2

何のことかわからない人もいるだろう。「たけやぶやけた」という文、竹やぶが焼けたことは重要でなく、回文になっているということの方が重要である。上記2文は(おそらく)英語の中で最も有名な2大回文であり、文の建前上の意味を完全に放棄して「有名な回文」という部分だけに着目した超訳である。

ちなみに当初は、意味も同じで回文になるという神訳を探していた。「Bamboo bomb」惜しいところまでいったが、残念、回文にはならない。

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