ノートの落書き


リンクフリー

リンクに許可は必要なのかということ
ちなみにこういう議題を扱うページの99パーセントは「必要ない」と答える

まずいきなり結論

変な前フリしておいてなんだが、やっぱり「必要ない」としか答えようがない。そういうことを解説するページは大抵webがどのように成り立ってきたのか知っており、ある程度調べていくと「リンクに許可を求める」ということが如何に奇妙なことかがわかる。

ただ、あまりにも当たり前すぎて逆に説明に苦しんでいる人も多いように感じる。なので敢えて新参の自分が調べた範囲で整理し、独自の説明をしてみようと思う。でも落書きなのでやっぱり整理されていない。

World Wide Web の成り立ち

ネットワークにはLinuxに近いものを感じる。「初期のネットワークユーザー」とは「早期にプロバイダに契約した人」ではない。ネットワークの枠組みを必要と考え、通信するための規格や仕様を整理し、その仕様を満たすようなプログラムを作った人たちである。

ティム・バーナーズ=リーという人が「www」すなわち World Wide Web の創造者だとされる。彼はコンピューター同士が自由につながるような「何か」がほしいと考えた。考えるだけなら誰でもできる。彼が創造者と言われるのは、ほしいという願望を実際にhttpプロトコルやhtml文章という「規格」というレベルまで昇華させ、さらにそれを実装するサーバーアプリケーションhttpdや、htmlエディタなどを開発したことによる。

最初は「とにかく自由に接続したり、リンクしたりするもの」という設計思想に基づいて広まった。そもそも「web」というくらいなので、リンクを蜘蛛の巣を張り巡らせたような描像を描いていたと思われる。しかし商業的にも大成功を収めると、多くの人が流入し新たな要望が出てくるもの。「速度が遅い、もっと高速に接続できる仕組みを」というものや「この情報はクローズにして特定の人以外アクセスできないようにしたい」「○○からのリンクを弾きたい」など、言い出せば切りが無い。

しかしそういった要望をことごとく apache などのプログラムが吸収していった。httpd.confという設定ファイルに数行書くだけで特定のIPのみ許可、特定のIPは拒否、ということが容易に行える機能が実装された。リンクも同様で、特定のリンクからのアクセスを拒否するような機能も実装されている。また、特定のファイルにパスワードをかけるといったことも可能だ。

さらにユーザーが増えると、1つのサーバーで多くのユーザーのページを公開することとなる(レンタルサーバーなど)。こうすると apache の設定ファイル1つで個々のユーザーの要望を答えることが難しくなる。ここに各ユーザーがそれぞれ設定できるローカルなhttpd.conf、すなわち.htaccessという機能が実装される。

このように「必要だ」→「じゃあプログラムに実装しよう」という長年の流れによって「www」という仕組みは発展してきた。上記のとおり、その中には当然「アクセス制限」や「特定のサイトからはリンクされたくない」というものも入っている。こうした中で「リンク禁止」と言っても「じゃあ.htaccessで弾けば?」となってしまう。それでも不満があるなら、wwwに変わるような仕組みを考え、規格として練り上げ、実装するプログラムを自分で書くべきなのだ。

持論

ここまで書いておいて、敢えて180度立場をかえる。個人的な意見を言うなら、「基本リンク許可制」の方がうまくいくんじゃないかと思っている。特に日本の場合。しかし開いた www 空間でそれを行うのは難しい。そこでパスワードをかける機能を応用した「会員制」だ。これで大成功したのが「mixi」というSNSである。パスワードをかけること自体は www の設計に沿っているし、その中でローカルな決まりを作るのもまた自由である。

ちなみにリンクフリーはリンクがないという意味になってしまう。日本語ならまだいいが、英語で「Link Free」と書いたら完全にアウトなので使うならまだカタカナにしましょう。

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