「今年こそLinuxが爆発的に普及する」「来年はデスクトップLinux元年」と言われ続けてすでに10年以上が経過している。当時に比べれば確かに進歩しているが、Windowsはあれから更に普及し、もはや絶対に手放せないものとなってしまった。
仮にLinuxがWindowsより遥かに使いやすくなったとしても、この世に無数にある「Windowsアプリ」が動かないことが最大のネックとなり、普及を妨げる。最低でもMS-OfficeにLinux版がなければ話にならないわけだが、MicrosoftがわざわざLinux版を開発するとは到底思えない。敵に塩を送るようなものである。
Ubuntuの登場は確かに革新的だった。あれだけユーザーフレンドリーに設計するとは衝撃的である。しかしUbuntuと言えどexeファイルが動くわけではない。1995年までにGNOME、KDEなどのデスクトップ環境が間に合わなかった時点でLinuxは規格争いに負けたのだ。
Windowsの代替にするのは無理だろう。しかし近年「ネットブック」や「スマートフォン」「タブレット」など、かなり小型なデバイスが普及しつつある。そもそもスマートフォンに至っては原型は「電話」であり、Windowsである必要がない。スマートフォンといえばiPhoneという感じだが、Androidも目が離せない状況となっている。このAndroidというのは、要はLinuxのカスタマイズ版である。こうしたWindowsの力が及んでいないような場所で普及するというのは十分ありうるのではないだろうか?
気づいていない人も多いだろうが、いわゆる「家電」の多くにLinuxが組み込まれている。カーナビのようなシステムをはじめ、テレビやらレンジなどにも使われているなどという話がある。別にAndroidの普及を待つことなど無い。家電を含めてしまってよいのなら、すでにそこらじゅうがLinuxだらけなのだ。
もう少しパソコンに近い話をすると、webを公開するためのサーバー機はLinuxが非常に多い。そもそもLinuxとは「unixクローン」なわけで、windowsクローンではない。unixの勢力が強かったサーバー周辺は今やLinuxが塗り替えたといってもいい状態であり、ましてWindowsサーバーなど最初から語るに及ばない。unixの大手であったSun MicrosystemsのSolarisの不調もLinuxの台頭が大きな理由だという話だ。
もともとLinuxは普及を狙ったものではない。Linusという一個人がunixハックを楽しみたくて作ったものである。Linusはメーリングリストで共同開発を持ちかけ、当時unixハックに飢えていたハッカーはここぞとばかりに参加した。Linuxとはハッカーの趣味なのだ。何も知らない最近の初心者の言う「何このLinuxとか言うの使いにくい」など大きなお世話であり、「君は別に使わなくていい」となるのも尤もである。初心者にやさしくないというのは、あくまでWindowsと同じ要領で使おうとする人間に対してやさしくないだけであり、「Linuxハックしたくて勉強してるんだがわからないことが・・・」というような向上心のある初心者(俗に言うタコ)は初期の頃から歓迎されてきた。
パソコン市場は今やWindows一色であり、第二勢力であるmacですらシェアは10%前後である。ユーザーに選択肢はなく、こういった状況は非常に不健全である(Ubuntuに言わせると「バグ#1」)。コンピューターが好きな自分にとってUbuntuやSUSEのような使いやすい近代的なLinuxディストリビューションの台頭はうれしく思っており、「普及するのは無理」かもしれないが「普及してほしい」とは思う。
個人的にはスマートフォンやタブレットのような市場を足がかりにして一度市民権を得た上で、デスクトップ領域にも侵食するようなことになればいいなあ・・・と考えている。タブレットではpdf書類などを閲覧することもできるが、「ちょっとした書類を書く」ぐらいのことができるようになってもおかしくはない。そうしたスタイルが一般的になれば、デスクトップLinuxでも作業が可能な社会になる可能性もなくはない。これは予測というより希望ですが。